「ここが、天秤宮……」
「やっと半分……越えたんだね……」

第七の宮、天秤宮の前でと沙織は息を整えていた。

「でも、なんで走ってたの?」
「そうね……。なんとなく、といったところかしら」

(な、なんとなく?)

ふと疑問に思って沙織を見るとすでに息が落ち着いている。

「お姉ちゃん大丈夫?」

平然としていた貴鬼が、いまだしゃべることもままならないの背中をさする。

「もう、年だからね……」
「でもムウ様と同じ年でしょ?」
「鍛えてる人じゃ、はあ、ないからね……」

は苦笑すると、深呼吸を一つ。ようやく息を整えるとその目の前にたたずむ建物を見上げる。

「ん?」

微かに漂う香りにが反応する。

「この匂い。お香かな?」

そのの問いに沙織と貴鬼が鼻を動かす。

「そうね。微かにだけど」
「きっと老師が焚いてるんだよ」
「そっかー。この匂い結構好きだな」

はもう一度その香りを嗅ぐと大きく伸びをして。

「じゃ、いこっか!」

沙織と貴鬼に笑いかけるとその中へ進んでいった。



「あら老師。お久しぶりです」

沙織が中にいた青年に声をかける。その声に青年はにこりと微笑むと、沙織の前にひざまづいた。

「ようこそ、天秤宮へ。お待ちしておりました」
「ええ。こちらが先日話していた私の従兄弟の です」

沙織はそう言うとの手を引いて青年の前につれていく。立ち上がった青年はフローラルの香りが漂うような爽やかな笑みをに向けて。

「初めまして、この天秤宮を守護するライブラの童虎じゃ」
「どうも、 です。ってアレ? 老師って名前じゃないんですか?」

先ほどから他の二人が『老師』と呼んでいたのを思い出して、目の前で『童虎』と名乗った彼に尋ねる。

「老師というのはあだ名みたいなもんじゃよ」
「そうなんですか。じゃ、童虎って呼んでいいんですか?」
「ああ、ぜひそうしてくれ」

そういってその逞しい手を差し出す。も手を差し出しその手を握り返した。
その時、童虎が自分をじっと見ていたことに気づく。

「私の顔、何かついてますか?」
「おあ、すまん。数ヶ月ここで過ごしていたのでな。お主のような顔を見たのが久し振りでつい見入ってしまったのじゃ」
「そういえば、中国の方なんですよね」
「その通りじゃ。すでに聞いておったか」

も童虎の顔を見つめる。見れば見るほど懐かしい顔。童虎に会ったのは初めてだが、その顔は日本にいても全くおかしくない顔。

「何だか童虎の顔見てると落ち着きますねえ」
「わしもの顔を見ていると祖国を思い出すのぅ」
「アジア友達ですねぇ」
「そうじゃのぅ」

見事なまでのほのぼのオーラを発しつつ、二人はまじまじとお互いの顔を見て笑う。なんだか自分の思うことが互いに伝わるような気がして。
それはやはり、同じ人種のなせる業というか。そして楽しいとはいえ、なれない環境に緊張していた自分に気付く。

「なんか童虎の顔見てるとほっとします」
「わしも少し同じ気分かな?」

そう言って、ふと童虎は三人の顔を見渡して。

「ここで立ち話もなんじゃ。茶でも飲んでいかんか?」

そう言って彼特有のその笑顔を向ける。
と沙織、貴鬼はその言葉に嬉しそうにうなづくと、童虎に続いて天秤宮の奥にある私室へと入っていった。



「女神とはどこだー!」
「貴鬼も一緒でしたよ」
「その前に老師は?」

空白の七分間を経て天秤宮にたどり着いた黄金聖闘士たちは、天秤宮に入ると辺りを見回して、先に行った3人とここの守護者を探した。

「ホッホ。わしならここじゃ」
「老師!」

口々にそこに出てきた人物に声をかける。

「老師、女神たちは?」
「すでに先に進んだわけではありますまい」
「まさか異次元に……」
「それはありえん」

さりげなくサガに突っ込みを入れたシャカの言葉に童虎は愉快そうに笑うと、天秤宮の奥を指差す。

「安心せい。今、少し茶を楽しんでおるところじゃ」
「そうですか」
「話し込んでおってな。もう少し待ってくれんか」
「わかりました」

童虎はそれだけ伝えるとまた奥の方へと消えていった。黄金聖闘士たちは去っていく童虎の姿を見ながら天秤宮の床へ座り込む。
どこでも座り込む十代のヤンキーならぬ、天秤宮の床に座り込む二十代の青年たち。一見するととんでもなく陳腐な光景の中でミロがぼそりと呟いた。

「なあ。何で俺たちには茶淹れてくれないんだろ?」

その言葉に黄金聖闘士たちは顔を見合わせると、互いに顔をあわせ苦笑する。

「気にすんな。老師も俺らみたいな男どもより、可愛いシニョリータと茶を楽しむ方がいいってことだ」

ミロの肩を叩いて言ったデスマスクの一言に黄金聖闘士たちは深くうなずいたのだった。



「遅い……」

眉間にシワを寄せたサガが呟く。すでに童虎が奥に消えてから四十分。しかし一向に出てこない四人に黄金聖闘士たちはしびれを切らしていた。

「まだかかるんだろうか……」

うんざりとした顔でアイオリアが奥の方を見る。その声に振り向いたミロがアイオリアの隣にいたカノンを見て呆然とした。

「ミロ、どうしたんだ?」

その視線に気づいたカノンがミロに話しかける。それに無言で首を振ると、ミロは隣にいたアルデバランにそっと耳打ちする。

(なあ。何でカノンって体育座りしてるんだ?)
(さあ? サガに小さいころ躾けられたんじゃないのか?)

そう言ってアルデバランが視線を向けた先には背筋を伸ばしてお手本のような体育座りを決めつつ、眉間にシワを寄せ、不満を呟き続けるサガの姿があった。

「遅くなってすまんのぅ」

突然、そこに童虎の声が響く。その声に皆が立ち上がると、童虎と先に進んだ三人の姿があった。

「待ちくたびれてしまいましたよ」
「すまんな。ついつい話が弾んでの」

珍しく愚痴をこぼすムウに童虎は笑いかける。その間にミロたちはに駆け寄ると、その頭を小突いたりして話していたことを聞き出している。

「くっそー。自分だけいい思いしやがって」
「俺たちずっと待ってたんだぞ!」

そう口々に言うアイオリアたちには笑いながら謝って。

「そういや、いいもん見たんだ」

ミロがそう言っての耳に口を寄せて何かを伝える。次の瞬間。

「うっそー! すごく見たかったー!」
「あ〜あ。ゆっくりお茶なんか飲んでるからだぜ」
「ちょっと損した気分だわ……悔しい!」

そう言ってちらっとサガの方を見る。しかし、童虎と話し込んでいるサガは気づいていないようで。
この事実を伝えようとそっとカノンの方をちらっと見て、沙織の耳元に口を寄せた瞬間。

「いててててて! 何すんだよ!」
「いらんことを言うからだ」

ミロにテンプルをかますカノンの姿を目の当たりにし、は唖然とした。

(今、しゃべったら私も……)

、どうしたの?」

口元を寄せたまま凍りつくを不思議そうに沙織が見る。それにひきつった笑いを返しつつ。

「ううん。今度二人きりの時にね……」
「そう? 今じゃなくていいの?」
「むしろ今はマズイかな」

そう言うと乾いた笑いを漏らしつつ、沙織をうながす。

「次、次の宮行こう」
「そうね。まあ、次の宮はミロの宮なんだけど」
「と、とにかく行こう!」

そう言って進みだしたと沙織に気付き、黄金聖闘士たちも続く。皆で他愛もない話をしながら天蠍宮への階段を上っていく。
その時、の横に来たカノンが不気味なまでの笑顔を見せつつ。

(さっきのこと、言ったらどうなるかわかってるな?)

ふいに耳打ちされたその言葉には先ほどのミロの悲鳴を思い出して。
その(恐ろしい)笑顔に負けないように笑顔を向ける。その笑顔に納得したカノンはまたデスマスクたちの元へと歩いていった。

「顔色が悪いわよ? 大丈夫?」

心配そうにの顔を沙織が覗き込む。

「えっ? 大丈夫! ぜんぜん元気よ」

そう言いつつ、背中に大量の冷や汗を流す

「そうそう。上まで着いたら、さっき言いかけてたこと教えてね」
「う、うん……」

沙織は言い出したら聞かない。何が何でも事実を伝えなければならない時が来るだろう。
何も知らず微笑む沙織には、いづれ自分の身に降りかかるであろう災いに怯えながらうなづいた。
しかしその後ろでは、別の意味で密かに冷や汗を流す男が一人。ミロだ。

第八の宮、天蠍宮まであと少し。


NEXT::天蠍宮