聖域の石段に五つの影が伸びる。
時刻は六時前。しかし夏のギリシャはまだ明るくほのかに日が傾いたぐらいである。



「しんどくないか?」
アルデバランが隣りで必死に石段を踏みしめているに声をかける。

「ぜーんぜん! こーいう階段は昇りなれてるから」
「そうか。ならばいいが」
「疲れたら言ってくださいね。休みながら昇ればいいのですから」

心配するムウとアルデバランに礼を言ってはまた歩き続ける。二人の心配とは裏腹に、の心は人一倍強い好奇心に満ちていた。
それもそのはず。今までの生活ならばきっと一生出会うこともなかった人たちがあと十人も待っているのである。

「あと十人に自己紹介したらつくんだね〜」

歩きながらははるか上にそびえる教皇宮を見上げる。が頭の中で単純に『12-2=』と考えているだけなのだが。
しかし、以外の四人はふと顔を見合わせると、
どこか意味深な視線を交わして、先頭を歩くの背中を見た。
第三番目の宮、双児宮がもう目前に迫っていた。



(ん? 誰かいる?)

後少しで双児宮に着くというところで、はそこに人の気配を感じた。
階段を少し早歩きで昇ると、視界に今までと同じように黄金聖衣を纏った男が入った。――と、その時。
奥から出てきた人物を見ては少し目を丸くする。
並んだ二人は瓜二つ。なんと髪型まで同じである。ただ一つ違うのは黄金聖衣を纏っていないこと。
その光景を目の当たりにしては頭の中で十二の星座の順をたどる。
牡羊座、牡牛座の次。双子座。

(てことは守護する人も双子なの!?)

彼女の理論からいくとムウは羊でアルデバランは牛でなければならないのだが、今のにそんなことは通用しない。
それよりも普段見慣れない、珍しい人たちに向かって猛ダッシュをかけた。



息を切らせながら昇ってきた少女を一人は温かい笑みで、もう一人はいぶかしげな目で迎える。
しかしはそんな視線にも気付かず、着いた瞬間、感嘆を交えて。

「……ほんとに顔がいっしょだ」

興奮したまま率直な感想を述べる。その言葉に黄金聖衣を纏った男が苦笑交じりに尋ねた。

「双子を見るのは初めてか?」
「はい! 生で見るのは初めてです!」

生と言う単語に微妙なものを感じ取ったが青年は優しく微笑み、の手を握ると凛とした声を響かせた。

「聖域へ、そして我らが双児宮へようこそ。私が双子座ジェミニのサガだ」
「あ、どうぞよろしくお願いします。 です」

握手しながら深々と頭を下げると、フッと笑い声が聞こえた。

「日本人は皆、握手をする時頭を下げるのか?」

声の主は双子のもう一人。余程の仕草がおかしかったのか、笑いをかみ殺している。

「みんなでもないんですけど……。そんなに変でした?」
「ああ、かなりな」

くっくっと喉を鳴らして笑う青年にもつられて笑う。

「こらカノン。女神の客人に向かって失礼なことを」

サガがその形のよい眉をひそめる。

「いいんですよ〜。よくよく考えたら変ですよ、ね!」

変だと言われてサガも思わず先程のの姿を思い出す。手をぶんぶん振りながら頭を何度も下げる少女。

「ふっ……ふふっ……」
「あ、やっぱりおかしかったんですね!」

サガも口を押さえて笑い、カノンに至っては口をあけて笑っている。三人の笑い声が響いたその時。

「あらあら、またずいぶん楽しそうね」

声のする方を見るとにこにこと笑う沙織とムウ達が現れた。そのとたん、ついさっきまで笑っていた二人がひざまずく。

「女神。お帰りなさいませ」

声をそろえ、沙織に挨拶をする姿は先程までの青年ではなく、まぎれもない女神の聖闘士の姿だった。

「どうぞ頭を上げてください。」

頭を下げている二人を優しく諭すと沙織はの方に向き直る。

「で、もう自己紹介は済んだのかしら?」
「うん。右の人がサガでね、左の人が……」
「カノンだ」
「そうカノン。――あれ? 名前聞きましたっけ?」

カノンの方を向き、聞き返す。カノンは少し考えていたが、ふと思い出したのかの方を向き、手を差し出す。

「紹介が遅れてすまない。双子座ジェミニのカノンだ。」

も手を握り返し、自分の名前を改めて伝える。

「おや? もう頭は下げないのか?」
「下げたらまた大笑いするでしょ?」

少し意地悪そうに聞いたカノンにも笑いながら言い返す。それもそうだな、とカノンも笑う。
しばらく笑っていただったが、ふいに疑問が浮かぶ。サガとカノンの元に走り寄ると、自分よりかなり上にある二人の目を見て。
その仕草に一瞬笑みを浮かべた二人だったが、の口から発せられた言葉に、己の耳を疑うことになる。

「今、考えついたんですけどね」
「何だ?」
「私、思うんですけど、双子座が二人いたらお得ですよね」

一瞬、周りの空気がはりつめたように感じた。その次の瞬間。
うずくまって大笑いする沙織とムウ、アルデバラン、貴鬼。微かに顔を引くつかせ、乾いた笑いをもらす双子と、なぜみんなが笑っているのかわからず、ぼ〜っとするの姿があった。

「と、得とは二人いることがか?」

極めて平静を保とうとしながらサガが尋ねる。それに、そうです!と力強くうなずくを見てサガは眩暈を覚える。
この娘は何を思ってそう考えたのか。一体どういう思考回路を辿って彼女はこの言葉を発したのかと。

「なんでそんなこと考えたんだ?」

実際、双子の兄を持って得をしたことがないカノンの不可解といった表情を伴った問いかけに、はにっこりと笑ってこう言った。

「だって二人いたら交代でテストとか受けられちゃうじゃないですか!」

は知らない。それが『替え玉』と呼ばれる立派な『犯罪』であることを。

「そ……そんなことするわけなかろうがッ!」
「出来たらとっくの昔にしているわッッ!」

慌てて否定する兄と人生を後悔する弟は、ふと顔を見合わせる。

「サガ、嘘をつくのはよくないぜ」
「誰が嘘つきだ! それよりカノン、貴様まだそのようなことをッ!」
「何ィ!? お前が俺と同じだったら出来ただろうが!」

大声で兄弟喧嘩を始めたサガとカノンを目の前にして、は悩んだ。もしかして、自分の言ったことがこの喧嘩の原因ではないかと。
悩むこともなく、すばりその通りなのだが。
ムウやアルデバランはこの喧嘩に慣れているので別段気にも留めなかった。皆が見守る中、サガとカノンの小宇宙が二人の感情に任せて急激に高まりだす。

「カノン! もう容赦ならん!」
「サガ! 俺こそもう我慢ならん!」

爆発する寸前にまで高まった小宇宙に、さすがに危険を感じ取りムウとアルデバランは身構えた。

「ムウ! 頼んだぞ!」
「わかってます! クリスタル・ウォール!」

アルデバランがとっさにを引き寄せ、ムウが手を広げた瞬間。

「「ギャラクシアン・エクス……」」


「いーかげんにしなさいッ!」

それぞれ技をぶつけようとしたサガとカノンが後ろを振り返ると、ムウの作った壁の後ろに怒りの小宇宙を放つ沙織の姿があった。

「ア、女神……」

二人が声を合わせてその名を呼ぶと、ガラガラとムウの作った壁を壊し、沙織が静かに二人に近づく。
そして、沙織のすっと息を吸い込む音が聞こえた次の瞬間。

「貴方達は二十八歳にもなって何をやっているのです!それでも聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士ですか!」

双児宮に沙織の怒号が響く。

「あ、あの……」
「おだまりなさいッ!」

サガが何か言いかけたが、沙織の制止が入る。先程まで獅子のようだった二人の黄金聖闘士は、今や子猫のように小さくひざまづいている。

「あの、沙織? 私が悪かった――」
「違うの! それで怒ってるんじゃないの。この二人が――!」

がおずおずと前に出て沙織に話しかけるも、沙織には通用しない。


「貴方達が黄金聖闘士だなんてほっっっんとーに情けない!」

ますます怒りを増幅させる沙織はもう誰にも止められない。俯いたままのサガとカノンは互いにちらっと視線を合わせると。

「大変申し訳ありませんでした……」

そう、消え入りそうな声で謝罪した。



「さあ。次、行きましょう」

しばらく怒りを放出していた沙織だが、怒るエネルギーも切れたらしく、いつもと変わらない笑顔をに向ける。

「う、うん」

かなり落ち込んでいるサガとカノンをちらっと見ながら答える。

「ねえ、沙織。あの二人かなり落ち込んでるよ?」

サガに至ってはもはや死相が出ている。しかしそれにちらりと視線を移した沙織はさらっと言い放つ。

「いいのよ。あれぐらい言わないとまた同じことするでしょ?」
「それはそうだけど……。どうせだからさ、仲良く一緒に行こうよ?」

は必死で目からお願い光線を出す。沙織は少し困ったような顔をしたが、ふわりと笑った。

「しょうがないわね。やっぱりには敵わないわ」

(私こそ、絶対沙織には敵わないよ……)

心の中でひっそり思いながら、サガとカノンの元へ走る。

「さ、二人ともそんな顔してないで。早く仲直りして、みんなで行きましょうよ」
「しかし女神が……」

サガとカノンは一瞬顔を曇らせる。しかし、はサガとカノンの手を取り、無理やり繋ぐ。

「はい、ごめんなさいは?」

は二人の目を覗き込みながら二人に言い聞かす。二人は戸惑っていたが、互いに口を開いた。

「すまない、カノン。私が大人気なかった」
「いや、俺の方こそすまん。つい頭に血が上ってしまって」

そして二人でふっと笑う。そんな二人を見てうんうんとうなづいたは、サガとカノンの手を引き、沙織たちの後を追いかける。

(久しぶりに派手にやってしまったな)
(久々にデカい喧嘩だったな)

それぞれ頭の中で今日のことを振り返る。そして。

(何故、こんなすごいことになってしまったのだろう?)

サガとカノンはふと目の前の少女を見る。鼻歌をふんふん歌いながら歩いているを。
その時二人の脳裏にある言葉が蘇った。

『双子ってテストとか交代でできちゃいますね』

(あの言葉は聞かなかったことにしよう。きっと彼女の無邪気な心が……)
(こいつ、俺と同じこと考えてたんだな。恐ろしいやつだ)

「二人とも黙っちゃって。どうしたんですか?」
「い、いや。何にもないぞ!」

思わずハモってしまった二人を見て、変な人〜など言いながらまたは歩き出す。
第四番目の宮、巨蟹宮が迫ってきていた。


NEXT::巨蟹宮