(お母さん、おんぶして!)
小さな手をのばして母の手をつかむ。母は優しく微笑んで背を向け、はその背中に飛び乗る。
暖かく柔らかな母の背中。
柔らかな……。

『ゴリッ……』
(お母さん、なんか背中固いよ……? お母さん、お母さん?)



「お母さん、なんかゴツゴツしてるよ……?」
「そんなに押し付けると顔にきずがつきますよ」
「だってすごくゴツゴツして――」

そこまで言ってはふと目を開ける。目の前には柔らかな藤色の髪。そして横には沙織と小さな少年の姿。

「――――! ごめんなさいッ!」
ようやく自分の状況を理解して叫び声をあげた。

「お姉ちゃん、ムウ様のことお母さんだってー!」
「貴鬼、そんなに笑ったら悪いわよ」

そういいながら沙織も笑っている。は顔を真っ赤にして沙織と貴鬼をにらむ。

「少し夢を見ただけですよね」

ムウがさりげなくフォローする。その言葉にこくこくうなずきながらはふと思う。日本に残してきた両親のことを。
最後までギリシャ行きに反対した両親。

(アテネはヨーロッパでも五本の指に入るほど治安が悪い都市なのよ!)
(そんな二十歳そこらでギリシャに行って何かあったらどうするんだ!)

の頭の中に両親の声が蘇る。
今回のことでたくさん喧嘩もした。の両親は優しくもあるが、厳しい人たちだった。

(お父さんお母さん、ワガママ言ってごめんね)

空港まで見送りに来た両親の少し寂しそうな顔。それでもそれぞれの思いを託して見送ってくれた。そんな両親に心の中で約束する。

(私、どんなことがあってもがんばるからね)



「もう着きますよ」

ムウの言葉に顔を上げるとそこには白羊宮と同じくらい大きな神殿。

「ここが金牛宮。牡牛座の聖闘士の神殿よ」
「じゃあここにも黄金聖闘士がいるの?」
「そう。ここにいるのが牡牛座タウラスのアルデバラン。とても頼もしい人なのよ」

沙織がそう言った時。

「ワハハハハ! 女神に紹介されるとはかたじけない!」

豪快な笑い声が頭上から響く。
がムウの背中から身を乗り出す――までもなく、ムウの頭の上にその男の顔が見えた。

(ちょっとこの人めちゃ大きいのでは!?)

ムウでさえ大きいと思っていたにとって彼のその大きさは『予想外』の三文字だった。

「女神に先程紹介されたアルデバランだ。よろしく」
です。よろしく〜」

ムウの肩越しに握手を交わす。
小さなの手を優しく握る大きな手。
男らしい顔立ちに満面の笑みを浮かべ、日本からの旅のことや聖域の印象を聞いては、豪快に笑ったり、同調したり。

(なんて気さくな人〜!)

は彼のその人となりに心の中で感動の嵐を吹かせていた。
ひとしきり話した後、はまだ自分がムウの背中におぶさったままだと気付く。

「あの〜、降ろしてもらえますか?」
「もう大丈夫なのですか?」
「はい」

よっこいせと掛け声をかけながらムウの背中を降りる、もといずり落ちる。
しかしその瞬間。

「うわっ!」

なんとも素っ頓狂な声をあげ、は後ろに傾く。あわや階段から転げ落ちそうになったその時。
の背中を二つの手が受け止め支える。

「あ、ありがとうございます〜」

の体を支えていたのはムウとアルデバランの手。
二人が両脇から支える間には真っ白なマントを握ったがちんまりと収まっていた。

「「大丈夫?」」

沙織と貴鬼が心配そうに声をかける。
それににこりと笑ってうなずくと、体勢を直しながらは二人に頭を下げる。

「マントがはずれてしまったのですね」
「ごめんなさい。ぎゅっと握っちゃったらプツンと……」
「元々外れやすいようになっているからしょうがないのだ」

マントをムウに返し、はふと横のアルデバランを見る。

「背、高いんですねえ。何センチあるんですか?」

唐突に聞いてから「ちょっと失礼だったかな?」と思い直す。
しかし彼は少し頭を下げ気味にして答えてくれる。

「210cmだ」
「ええ!? そんなにも? 身長分けて欲しいくらいです〜!」
「俺も正直これほどはいらんのだがな」

伸びてしまったものはしょうがない、とまた笑う。
二人で身長談義を始めようとしたその時、今まで黙っていたムウがふと顔を上げた。

「おやおや、上の住人たちがかなり待ちくたびれているようですよ」
「なんだテレパシーか?」
「はい、ミロからです」
「獅子宮からだな」

小宇宙を感じ取ってアルデバランが居場所を言い当てる。

(この人テレパシーまで! もしかして、教えてもらえばいつかは私も……!)

横ではとんでもないことを考えている。ここに関西人がいたら即座に『はい無理ー!』と突っ込んでいただろう。

「また自宮を抜け出して……。困った人ですね」
「おいおい、手加減しておけよ?」
「わかってますよ」

ムウは目を閉じ、少しすると目をあけた。

「軽くおしおきしておきました」

しばらく目を閉じてその後、ムウはにっこり微笑んだ。

(テレパシーできたら電話代いらないし! 絶対おトク!)

「テレパシーは相手もできないとダメなのよ?」

急に沙織に話しかけられは一瞬ビクッとする。

「な、なんで、なんで?」
「だって長いつきあいだもの。の考えてること当てるなんて朝飯前よ」
「なに〜? もしかしてお姉ちゃん、テレパシー使いたいんだ!」

二人にからかわれて必死になって対抗しているを見てムウとアルデバランは思わず笑みがこぼれる。

(ね。先程言ったとおりでしょう?)
(まったく飽きが来ないというか……おもしろい子だな)

ムウのテレパシーによってすでに黄金聖闘士たちは全員、のことを聞いていた。
日頃何もない聖域のこと。そのような噂は瞬時に聖域中を駆け巡る。
自分のことがすでに知れ渡っているとは露知らずはまだ沙織と貴鬼相手に奮闘中。そんな三人をムウはうながす。
アルデバランもやれやれといった様子でそれに続いた。



その頃、第五番目、獅子宮。

「いってぇ〜! くそっ、ムウのやつ!」

ここの主人、アイオリアの部屋の本棚に半ば埋もれるようにして一人の青年が大声をあげる。

「だから言ったんだ。聖戦の時もムウに怒られたじゃないか」
「だからってなんで今、ふっとばされるんだよ!」
「それはミロが勝手に天蠍宮を抜けてきたからだろ?」
「だってどんな子か早く見たいじゃないか!」

本棚からはいずりだしながら、ミロと呼ばれた青年はわめいた。

「じゃあ、デスマスクのとこに行けばいいじゃないか。あっちの方がここより下だし」
「あそこだとサガがうるさいんだよ」

どこまでも食い下がるミロにアイオリアはため息をつく。

「なんだよ?」
「いや、なんでもない」

噛み付きそうなミロをあしらいながらアイオリアは使っていたダンベルを床に置くと、シャワールームに向かう。
そしてシャワールームにはいる寸前。

「あ、本棚片付けとけよ」
「え〜! なんで俺が!」

ミロの声を無視してアイオリアは消える。部屋にはミロと本の山が残されたのだった。


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