「ご苦労様」
「どうもありがとうございました」

運転手にそれぞれ言葉をかけて送り出す。ついたのは聖域の入り口。何かの遺跡があるような殺伐とした風景。

「こ、ここが聖域なの!?」

は不安を覚えて尋ねる。

(こんな何もないとこでどうやって暮らすんだろ……)

辺りには神殿に使われていたのであろう、エンタシスの柱を思わせる石の塊とごつごつした岩だけ。その他には特にこれといって生活感のあるものも見当たらず、ただ荒れた風景が広がるだけ。
しかし、そんな中こちらへ歩いてくる人影があった。

「来たわ。あの人が聖域まで連れていってくれるのよ」

沙織の指差す方を見ると、何か光る物を纏った青年が近づいてくる。ゆっくりだがしっかりとした足取り。雰囲気からして二十代半ば、といったところか。
やがて、青年は二人の前まで来るとうやうやしくひざまづき、そしてゆったりとした声で言い放った。

「女神、お待ちしておりました。ここまでの道のり、さぞやお疲れになられたことでしょう」
「ご苦労様です、ムウ。この通り全然疲れてなどいませんよ」

主従関係をはっきりと表す一連のやり取り。そんな二人をは口をあけて見ていた。

(なんか……私のいる世界とは違う……!)

呆然と二人を見ていると、ふいに青年が立ち上がる。その姿はが想像していたよりもずっと大きく、気品に満ち溢れていた。
すっと青年が視線を移したとたん、その目の鋭さに少しひるむ。しかし青年の顔は柔らかな笑顔に変わり、大きな手を差し出してきた。

「あなたがですね。女神からお話は伺っております。私は牡羊座アリエスのムウ。どうぞよろしく」
「あ、です。よろしくお願いします」

(この人が噂の黄金聖闘士か……)

以前沙織から聞いた話を思い出す。

『星占いに使われている黄道十二星座ってあるでしょ。あれがそのまま黄金聖衣なの』

想像していた人とはかなり違った青年の風貌に戸惑いながらも、されるがままに握手を交わす。しかしの視線は彼の纏う輝く物に釘付け。

(すごーい……。これ金でできてんのかな? ものすごく高そう……)

『金=高い』と即座に考えるあたり、一般庶民である。
眩い光を放つそれに見入っていると、ふいに沙織の笑い声がした。

ったら、そろそろ手を離してあげたら?」
「え?」

ふと手元を見ると握手をしたまま、手をぶんぶん振っている。

「うわっ! あの、すっすみません!」

顔を真っ赤にしながら慌てて手をほどく。ムウも困ったような顔をしながら笑っている。

「楽しい方でなによりです。そうですよね、女神?」
「そうでしょう? なんといっても私の従兄弟ですもの」

クスクス笑う二人にもついつい笑ってしまう。



「さあ、皆も待っていることですし参りましょうか」

ムウがそう言った瞬間周りの風景ががらりと変わった。あまりの驚きに声も出ないは口をぱくぱくさせて何かを言おうとしている。

「テレポートして十二宮の入り口まで来たのよ」

沙織がさも当たり前のようにに向かって言った言葉をゆっくりと解析する。

(テレポートで十二宮の……。テレポート……?)

「テレポート!?」

思わず大きな声をあげてしまい二人を驚かせる。
唐突なの行動に、慌ててムウも沙織を問いただす。

「女神、私の能力については何も?」
「ごめんなさい。彼女があまりにも色々と想像を働かせているようだから、実際に見てくれた方が早いと思って」

さらりと言う沙織にムウはため息をつく。そしての方に向き直り落ち着かせるように話した。

「少しだけここにいる者たちについてお話しましょう。いいですか。私達聖闘士は皆、小宇宙を操ることによって、自分の力を最大限に発揮するのです。そして中には私のように特別な力を持った者もいます。私の場合それが念動力なのです。あなたがこれから会う黄金聖闘士は皆それぞれ特別な力を持っています。これくらいで驚くようではここでの生活もままなりませんよ」

まるで子供に言い聞かせるように優しく諭す。それにはうなずくものの半ば放心状態で、それがムウの不安をより一層かきたてるのだが。
自分の言い方が悪かったのだろうかと思案をめぐらせ、ムウが言葉を改めようとした瞬間、の顔に輝きが満ちる。

「すごい、すごいッ! もう一回やってください!」

とんでもない言葉に目を丸くしたムウの手を握りぶんぶん振り回すにあっけにとられたまま、彼はもう一度彼女の言葉を繰り返す。

「もう一回……ですか?」
「そう! もう一回、テレポートしてみてください!」

その光景を見ていた沙織が耐えられなくなったのかついに噴出す。

「女神、そんな大声で笑うなどはしたない……」
「だってあまりにもおかしくて! ムウ、やってあげなさい」

女神を見れば大笑い、目の前の少女を見ると目を輝かせて見つめてくる。それにようやくムウは観念したのか、の方に指先を向ける。

「いいですか? 一回だけですよ?」

そう言うと、に向けた指をこころもち動かす。とたんにの体が少し浮いた。ムウがそのままあちこちにテレポートさせると、彼女はまるで子供のように歓声をあげる。
しばらくそれを繰り返していたムウは最後に彼女を自分の前に戻すと優しく笑い、まだ興奮の冷めないに話しかける。

「これでよろしいですか?」
「はい! どうもありがとうございます! その……よければまたやってくださいね」

少し頭を下げてそう言う彼女にさすがに断りは入れられない。

「ええ、またの機会に」

ムウもそれなりに楽しかったのか、に思わず笑顔で言葉を返す。はそれに笑顔で答えると沙織の方に向かう。

「じゃ、いこっか!」
「そうね」

なかよく手を繋いで歩き出す少女二人を見つめつつ、ムウも後ろに続いた。



「え、ここじゃないの?」

の前にそびえるのはムウの守護する白羊宮。大理石の大きな柱に支えられた大きな神殿である。

「違うわよ。ここから十二宮を越えて教皇の間に行くの」
「まだここはほんの入り口ですよ」

その立派さにてっきり沙織のいる神殿がここだと考えていたは二人の言葉に唖然とする。
の前には険しくそびえる岩山。その山肌に神殿のような建物が点在する。

「……もしかして、ここからあのてっぺんまで上るの?」
「もちろん」

二人に即答されては気が遠くなる。そうでなくともギリシャまで来るのに少しは疲れているのだ。それなのに、ここからさらに頂上までこの岩山を登る羽目になるなど、はしゃいでいた彼女に想像ができただろうか。

「少しずつ休みながら登りますから大丈夫ですよ」

ムウの言葉を聞いて安心したものの、少し不安が残る。
それでもとりあえず、と歩を進めた瞬間。

「ムウ様ー!」

小さな子供の声が宮に響く。

「貴鬼、待たせてしまってすみません」

ムウが暗闇に向かい声をかけると、突然男の子が目の前に現れた。

「――――ッ!」

あまりにいきなりだったので、は思わず後ろにのけぞり、しりもちをついてしまった。
驚きを隠せないに向かって貴鬼はいたずら好きの子供特有の笑みを浮かべる。

「初めまして! おいら貴鬼って言うんだ。ムウ様の一番弟子なんだよ。お姉ちゃんはなんていうの?」
「あ、 っていうの。よろしくね」

座り込んだまま自己紹介するに貴鬼も合わせて座り込む。

「ふーん。お姉ちゃんいくつ? おいらは八歳だよ」
「私は二十歳なんだ。貴鬼くん、八歳なのに修行してるの? 偉いねえ」
「そうかなぁ? へへ……」
「まだまだ未熟ですけどね」

彼女の言葉に少し顔を赤らめた貴鬼が照れ隠しに笑うと、ムウがさり気なく横からつっこむ。

(抜群のコンビネーションだわ……)

がおもしろそうに二人のやり取りを見ていると、また貴鬼が話しかけてきた。

「お姉ちゃんは今年二十歳なんだよね? じゃあ、ムウ様と一緒だ」
「え?」

思わずムウを見上げる。

「そうですね」

にっこりと返すムウを見て、はちょっぴり罪悪感にとらわれる。

(ムウって同じだったんだ……。かなり年上だと思ってた……)

ひっそりと謝り、視線を上に移すと大きな時計が目に入った。

「五時半? 急がなきゃ! みんな待ってるんでしょ?」

沙織に向かって言うと、沙織も腕時計を見た。

「そうね……。かなり時間かかってるわね。行きましょうか」

慌てて立ち上がろうとしては自分の体の異変に気づく。

「どうかしましたか?」

いつまでも立ち上がろうとしないにムウが気遣って声をかける。

「あの……」
「はい」
「足に力が入らないの……」

恥ずかしそうに小さな声でそう答えたの言葉に慌てて沙織も駆け寄る。

「やだ、ったら、腰を抜かしちゃったの?」
「……みたい」
「……貴鬼のせいですね。謝りなさい」

ムウが少しきつめにそう言うと、貴鬼はばつが悪そうに頭をさげた。

「……ごめんよ。そんなに驚くなんて思わなかったから」

少し泣きそうな顔をしてる貴鬼に向かって大丈夫だと告げる。

「しかしこのままでは進めませんね。――私がおぶっていきましょう」

ムウは少し考えてそう言うとの体を浮かび上がらせそのまま背中に背負う。

「あ、あの、私って自慢じゃないけどけっこう重くて――」
「別に構いませんよ。あなたぐらいの重さならまったく平気です」

さらりとそう言うと、沙織と貴鬼をうながして歩き出す。

(こんな年になっておんぶされるなんて……)

ムウの揺れる背中で、は一人頬を赤らめる。何せ、人に負ぶわれたことなんてもう十何年もない。それもあって少し恥ずかしいような、でも暖かくて懐かしい感覚。
その暖かさに安心したのかはいつしか眠りに落ちていた。


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