「面白くないなあ」

小さく響いたの声は天井へと吸い込まれていった。

「何がだ?」
「この雑誌」

それだけ言うとは持っていた雑誌をシュラの方へと放り投げる。色とりどりの車が表紙を飾るそれは、数日前にデスマスクから借りてきたものだった。

「車に興味はないのか?」
「別に。ここじゃ乗れないし」

あくまで移動手段としてとらえたその物言いにシュラは小さくため息をついた。
こんな時、普通の男ならどう言うのだろうか。そんな考えが頭をよぎり、押し出したはずのため息をもう一度吐き出す。
視界の端でタバコに火をつけるの姿が映った。

「俺も一本もらって構わんか?」
「あ、どうぞー」

紫煙の向こう、は次々と煙を吐き出し、五分足らずの休息に没頭している。その横、シュラは灰皿のそばにより自分のライターで火をつけようとしたのだが。

シュッ。シュッ。
石を擦る音は聞こえても、一向に炎は見えてこない。何度かそれを繰り返すが役目を忘れてしまったライターはうんともすんとも言わない。

「すまん。借りるぞ」

のライターを持ち上げ合図すると、無言で頷き返す。それを見てふたを開け今度こそはと石を擦るが、こちらもまるで図ったかのように火花が散るだけで一向に炎は姿を見せない。

「あれ? つかない?」

いつの間にか横に来ていたがシュラの手からライターを奪い取ると何度か自分で火をつけようと試みる。数秒後、はライターを放り出し一言呟いた。

「あらら。オイル切れだ」
「オイルならキッチンに置いてあるぞ。今……」
「うん。後でいいよ」

はそれだけ言うとタバコの灰を灰皿へと落とす。

「はい」

それだけ言ってシュラの目の前に突き出されたのは、タバコをくわえたままのの顔。一瞬ドキッとして固まったシュラに構わず、「ほら早く」と言ってシュラがタバコを指に持つのを待っている。彼女が何をしたいのかすらわからず、おずおずとシュラは切り出した。

「ど、どうしろと……」
「もう、普通にくわえてればいいからさ」

は再びタバコの先にたまってきた灰を落とすと、促すように目線をシュラの目の前にあるタバコとシュラの顔を見比べ、シュラが口にタバコをくわえるのを今か今かと待っている。意味を解さないままタバコをくわえたシュラの目前、そっとの顔が近付いた。
それに驚いて身を引いたシュラだったが、恐る恐る彼女のタバコの先に自分のタバコの先を押し付ける。
今までただの紙と葉だけだったタバコの先に、炎という命が吹き込まれる。何度か息を吸っては吐きとしていると完全に炎は移り、シュラのくわえたタバコからもうもうと煙が噴出し始めた。
互いの煙が噴出す中、わずか十五センチ先に軽く目を閉じたの顔が見える。ただ煙が目に入らないように閉じているだけなのだが、シュラは別の感情が沸き起こり少し焦って顔を離した。

(他の人間ともこんなことをしているんだろうか)

最初にそう思い次に頭に浮かんだのは、人間ではなく男だという概念。彼女は、他の男ともこうやって火の交換をしたりするのだろうか。そして相手の男も自分と同じとはいかなくとも、似たような感情を抱くのだろうか。

そこまで考えて、シュラははたと考えるのを止めた。頭を振ってその考えを吹き飛ばすかのように一度深く煙を吸い込む。彼をそうさせたのは、ふいに顔を動かした時に見えたの顔。先ほどと変わらないように平然と煙を交えた呼吸をする彼女に対して、自分が何かとてつもなく罪深い感情を抱いてしまったかのような気分になってしまったのだろう。

「どうかした?」

ふいに唸り声の聞こえた方を見たにシュラは何でもないと軽く首を振る。
耳の奥で自分の激しい鼓動が響いているのを感じながら、表面上はあくまで平静を装う。

「何でもない。何でもないんだ」
「本当に? ……もしかして調子悪い?」

ふいにそう聞いてきたにシュラは意味がわからないまま彼女の顔をじっと見る。の顔は本当に心配そうで、自分の顔がどんな風になっているのか余計疑問を感じる。

「顔が赤いけど、熱でもあるの?」

そこまで言われてシュラは頬に熱が走るのを感じた。
全く気付かなかった。他人が見てわかるほどだから、よほど赤くなっていただろうに。それが指摘されるまでわからないとは。
俺はよほど気が動転しているんだろう。そう頭の隅で考えながら、落ち着こうと何度か呼吸を整える。

「本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。その、少し熱くないか?」

我ながら下手なごまかしだと思いながらもそう切り出すと、思った以上には信じ込んでしまったらしい。軽く袖をたくし上げるとそう言えばそうだといった風に言葉を返す。
シュラはその返事を聞いてほっとため息をつくと、窓際により、小さな窓を押し上げる。少し冷たい風が中へと吹き込み、ほてった頬をそっと冷ましてくれた。
ふと後ろを振り返ると、少し前に火を消したがシュラの吸っていたタバコを手に持ち新しいタバコに火をつけていた。

それを見た瞬間、先ほどのことが思い出されシュラの頬にまた熱が戻ってくる。

――もう少しの間、ここから離れられんな。

そんなことを思いながら、シュラは冬の弱い日差しを見つめて軽く目を細めた。


<THE END>