「ほんとごめんね〜」
「いや、別に構わんさ」

ある日の午後、の家。そこにあるキッチンでシュラは小さな棚と格闘していた。

「これでもう落ちんだろう」
「うん、ありがとう! じゃ、荷物乗っけないとね」
「いいから貸してみろ」

テーブルの上からの手に移った荷物を取ると、それはもう見本のようにきれいに棚へとしまっていく。

(整頓上手ねえ)

片付けなどは正直得意ではないは、シュラの慣れた手つきに感心して。

(いやあ、こんな人が旦那だったらいいのにねえ)

目の前で荷物を次々と積み上げる姿を客観的に評価してたりした。



それはある晴れた日のことだった。

「ぬぎゃぁぁぁぁぁぁわぉぉぉぉぉぉ!!」

教皇宮のすぐ側にある小さな小屋。元々見張り役の休憩室だったその小屋はいまや改造されて小さな家になっていた。そして、そこから響く悪魔も裸足で逃げ出す叫び声。


「いててててて……」

缶や箱から突然襲撃され、ようやく起き上がったはふと天井付近を見てため息をつく。
そこには本来あるはずの棚は消えて色の変わっていない木の肌が見えていた。

「やっぱムリだったか……」

先日からギシギシと嫌な音をたてていた棚は足元で無残な最期を遂げていた。その破片を拾い集めながらはもう一度ため息をつく。
早いうちに取り替えねばと思いつつも大丈夫だろうと楽観視していたのが運の尽き。重みに耐えられなくなった棚は、積年の恨みを晴らすかのようにめがけて落ちたのだった。

いつまでもこうしていてもしかたがない。とりあえず、そう思ったは十数分後、どこから取り揃えてきたのか、工具箱と分厚い板を数枚抱えて部屋に戻ってきた。
鼻歌なぞ歌いながら鉛筆で線を引き、のこぎりで切り落としていく。

「中学校ん時作ったし余裕、余裕!」

学校で習ったことが意外と役にたつもんだと思いながらも釘で板を繋いで、軽く紙ヤスリをかける。
ほんの一時間程度で簡単な棚が完成した――が。

「たあっ!ふおっ……!」

いざ壁に取りつけようとした矢先、は新たな問題に直面した。

「と、届かないってば……」

棚の上部をネジで取り付けようとしても、ドライバーを持った右手がいくら伸ばしてもそこまで届かないのである。
呪うべきはこの高さにある天井か、それとも自分の身長か。
とにかく誰かにやってもらおうと椅子から降りたその時。

? いないのか?」

ドアをノックする音と共に聞こえたその声は。

「シュラ!」

ドアに向かって一目散に走り出す。勢いよくドアを開けたその先にはシュラがいて。

「おい。俺を突き殺す気か……?」
「は?」

ふと右手を見ると鈍く光るドライバーの先端がシュラの腹部十センチ前。

「のーうぉぉぉぉぉ!」
「…………」

意味不明な叫びを上げながら慌ててドライバーを下げたを見て。

「一体何をしていたんだ?」

シュラはその手からドライバーを奪うと呆れた顔を向けた。




「これで最後か?」
「うん。ばっちし!」

荷物を上げ終わったシュラにVサインを送るとはすぐ横の冷蔵庫をあけて、その中をごそごそと漁り、ボトルに入った茶を取り出した。

「烏龍茶だけどいる?」
「ああ、もらおうか」

シュラのその返事を待たずにコップに注ぎ込むその姿を椅子に腰掛けながら見ていたシュラの目の前にコップを置いた。

「……座って飲め」

腰に手を当てて一杯目の烏龍茶を飲み干したに、シュラが言葉を投げかける。無言でそれに軽くうなずくと、二杯目を注いで。

「ほんと助かったわ〜。どうもありがとう」
「いや、それより――」

ふいに言葉を切ったシュラの顔を覗き込んだ時。

「どうやって荷物を取るつもりなのだ?」

シュラが視線を移した先には先ほど出来上がったばかりの棚。そこにはが届かなかった上の方までびっしり荷物が積み上げられていた。

「うーん。脚立とか」
「そんなものに乗って、もしバランスを崩したらどうする」
「どうしようね? じゃ、椅子」
「先ほど届かなかったのではないか?」

閃いたことを次々と消去していくシュラを少し睨んで。

「あ、名案!」
「なんだ?」
「肩車!」

がニッコリ笑ってはじき出した答えにシュラは大きなため息をつくと、頭を抱え込んだ。だが、肝心のは素早く椅子から立ち上がって、シュラの腕をぐいぐいと引っ張る始末。

「ほら、とにかくレッツトライ!」

黄金聖闘士をひざまずかせた上、その肩にまたがって、は目の前にある彼の頭を軽く叩く。

「これが何の解決になるのだ……」

そう呟きながらもシュラがの足を掴みゆっくりと起き上がった瞬間。ゴツッと鈍い音と共に、シュラの肩に衝撃が走った。

「あいとゎッ!」

天井にしたたかに頭をぶつけが体を曲げる。

「お、おい。大丈夫か?」
「……非常に微妙」

を降ろすと手を添えているあたりを探る。そこには小さくだがはっきりとふくらみがあって。

「いたたた……。そこ押すと痛い……」
「当たり前だ。こぶができている」

だから言っただろう、とシュラがそっと手をかざすと。

「一応の処置だ」
「ありがとう」

痛みの消えた頭をさすって、が顔をあげた。それに短く返事をすると。

「で、結局どうするのだ」
「どうしよっかなあ?」

二人で見上げた先には例の棚。その時、ふとシュラの頭に疑問が浮かぶ。

「少し気になったのだが――」
「何?」

棚から目線を戻したをふっと見ると。

「ここに来た時、あそこの荷物はどうやって積んだのだ?」

それがわかれば解決にも近付く。そう考えたシュラは聞いたのだが。

「ああ。背の高い雑兵さんがやってくれた」

引越しの業者さんみたいにみんなテキパキやってくれてね、などと思い出話を語るを遮って。

「では、今まで降ろしたことは?」
「ない」

すっきりきっぱりと言い切ったとシュラの間に深いため息が流れた。

「要するに、自分で触ったことは一度もないんだな?」

その一言にはさらに自信満々、何度も首を縦に振る。それにため息なんてものではない、腹の中の空気を全部吐き出す勢いでシュラは再びため息をつく。もちろん、彼女はなぜ彼がため息をついているのか、それすらもわかっていなかった。



「どうせ、普段は使わんものなのだからいいだろう?」
「いや、でもさすがにそれは悪いって」
「俺が大丈夫なのだから大丈夫だ」
「そんなこと言ったってそれだけで呼び出すのも悪いじゃない」
「だから俺は構わんと言っている」

先ほどから禅問答のようなやり取りをしているとシュラ。考えた末、「下ろすものがあるときは俺を呼べ」といったシュラだったが。

「いくらヒマだからってそれはダメだってば」
「ヒマ……。まあ、ヒマといえばヒマだ」

かなり痛いことをいうに任務以外はな、と付け足して。

「とにかく何かあったら俺を呼べ。必ずだぞ」

「……うい」

フランス語で返事とは洒落たものだと、シュラは考えながらもその言葉に頷く。そして、しぶしぶ返事をしたの頭をそっとなでると。

「わかったな? じゃ、今から教皇に会ってくる」

どうやら用事の途中に寄ったらしい。

(普通、用事を済ませてから来るもんじゃ?)

そう思わず突っ込んだだったが彼のおかげで助かったことに変わりはない。
心の中で再び感謝しつつ、玄関までシュラを送り出したその時。

「いいか。必ず俺を呼ぶんだぞ」
「いえっさー!」

忘れないようにと念を押すシュラは、おどけてピッと敬礼をするにふと笑みを漏らすと。

(今度は英語か……)

さすが語学を勉強する者は違うと大いに勘違いをして来た道を教皇宮へと歩いていった。



『好きな人の家に用事で呼ばれていく』

その野望を達成するため約束を取り付けたシュラだったが、元々降ろさない荷物の依頼がそんなにくるはずもない。しかし、なんだかんだ言いながら、
ほぼ毎日のようにの家に通うシュラの姿を仲間たちは。

「最近、シュラは『通い婚』ってやつにハマっているらしいぜ」
「通い婚? なんだそれ?」
「日本の昔の伝統でね、旦那が奥さんの家に毎日行くことらしいよ」
「夫婦って普通一緒に住むもんじゃないのか?」
「その前にあの二人はいつ結婚したんでしょう? お祝いくらいするものを」
「最近流行りのジミ婚というものではないのかね?」
「お前、そんな言葉知ってたんだな」
「とにかく一度シュラに聞いてみんといかんな」


「なあ、シュラ。お前、いつと結婚したんだ?」
「はァ?」

デスマスクの問いかけに戸惑ったシュラが、尾ひれのついた噂に気付いたのはそれから二週間も後のことだった。


<THE END>