思い出すね、あの頃を。

暖かな春の日。
満開の桜と、響き渡る笑い声と、あの人の少し赤くなった笑顔を。



「いやー。見事、見事」

空を覆うように枝を広げた木を包むピンク色の花びらには感嘆の声をあげた。

「桜はすぐ弱ってしまうと聞いていたから心配だったんだけど……。これなら大丈夫そうね」

隣りで嬉しそうに花びらを見つめるのはいとこの沙織。
日本からはるばるやってきたこの桜の晴れ姿に彼女も満足して笑顔をこぼす。

「これって城戸邸の中庭にあったやつでしょ?」
「そうよ。もういくつになるのかは知らないけれど」

さらっと風が吹くたびに枝を揺らし、その花弁が空に舞う。
ここギリシャでは見慣れないその花に、見張りをしている雑兵もちらちらと視線を移しているのがわかる。
誰もが思わず足を止めて見入ってしまう。そんな不思議さをこの木は持っていたのだ。

「やっぱり春っつったら桜だね」
「そうね。これを見ないとなんだか春になった気がしなくて」
「日本人のDNAに刷り込まれた季節感ってやつ?」
「そうなのかしらね?」

春になったら桜が咲いて。だんだん暖かくなって、たまに雨が降って。
ちょっと寒い日の翌日は、その前より一段と暖かくなって春風が吹いて。
そうやって一歩ずつ冬から春へと変わっていく。
やがて、桜の花が散り、青葉が輝きだす頃、季節は一年で一番眩しい時へと移りだす。
目に見えてわかる季節の変化の始まりである春の真っ盛りにさっと咲いて散り行く花。

決して華美でなく、しかし地味でもない。
だからこそ、かえって人々の心に深く残るのだと。

そう、あの人が言っていた。
今は亡き、あの人が。

彼は確かに冷たい人だったのかもしれない。
それでも、少なくとも沙織やにとっては優しい人だった。

そんな彼が、一年のうちで少しだけ周りに笑みをこぼす時があった。
それがちょうど今、桜の咲く季節だったのだ。


「お花見がしたいねえ」
「お花見、ね。もう何年してないのかしら」
「本当に久しぶりだね。さあ、黄金聖闘士も召集してぱーっと騒ごうよ!」
「ふふっ。まったくお祭りとなると行動が早いんだから、は」

身を翻して教皇宮へと向かう沙織の後ろに続こうとしたは、もう一度その霞のように太陽の光を透かして輝く花びらを見つめ、目を細めた。

「……空の上からだともっと綺麗に見えるんでしょうね」

ふいに後ろから聞こえた声に振り向くと、沙織も同じように目を細めて空を見上げていた。
ゆらりゆらりと風に揺れる枝の間、目に飛び込んでくる真っ青なギリシャの空。
きっとあの人もこの空の彼方で、眼下に広がる桜の雲を見ているに違いない。

「うん、そうだね。きっと大喜びしてお酒飲んでるよ」

飲みすぎて次の日ベッドで寝込むことにならなきゃいいけど。
そう付け足すと小さな笑い声が聞こえてきた。


今日は大騒ぎをしよう。
騒いで、騒いで。その声が遥か遠くにいるあの人のところにも届くように。

私たちが元気でいることが、あの人にも伝わるように。


<THE END>