「よし、これでどうだあ!」

夜遅く、教皇宮横の小屋で一人、は歓声を上げた。

「ふふ……。これなら文句言えまい……」

怪しげな笑い声を立てながら、は完成したばかりの物を冷蔵庫にしまった。



「起きろー! 起きろってば!」

翌日、まだ時計は八時を指している頃、は人馬宮まではるばるやってきて、幸せな夢の中にいるアイオロスを持ってきた布団叩きでシーツごと叩きつける。

「起きろー! 射手座のアイオロスー!」

そう叫びながら幾度か布団叩きを振り下ろすと、ようやくアイオロスが目を覚ました。寝ぼけながらも「おはよう」と返したアイオロスには笑顔でシーツを剥ぎ取る。

「うわあ、エッチ!」
「誰がだ!」

わざとらしく胸の前を隠してみせるアイオロスには笑いながら布団叩きを振りかざす。

「わわ、ちょっと待て! 暴力はよくない!」
「だって、鍋叩いても起きないじゃない」
「う、それはそうだけど……」

痛いところを突かれアイオロスが黙ると、はシーツをせっせとたたみだす。

「もう、皆言ってるよ。アイオロスは何しても起きないって」
「そ、そうかな。でもそれは?」
「ん。布団叩き」
「布団叩きって……。もしかして布団を叩くやつなのか?」

不思議な形状をした棒を指差すとアイオロスは小さくため息をついた。

「俺は布団と同じか……」

しかし、軽くスラング交じりのギリシャ語はには理解できない。

「え? 何?」
「ううん。何もないよ」

愛想笑いを浮かべた彼には少し不信感のある顔をしたが、ドアへと向かい出す。

「そうそう。朝食用意してるから」
「え、えぇぇぇぇぇ!?」

最後の言葉に一瞬で冷や汗を流し、アイオロスはこのままダイニングに向かうか、もう一度シーツに潜り込むべきか考え込んだ。



「意外にも普通だ……」

食卓をのぞきこんだアイオロスは思わずそう呟いた。そう、普段のはと言えばお世辞にもおいしいとは言えないものばかりを作っては、味見と称してつまみ食いをする黄金聖闘士をたびたび困らせたりする。
しかし、今目の前に並んでいる食事は驚くほど普通の食事に見える。

「どうよ! なかなかのもんでしょ?」
「うん。もやればできるんだなあ」

そう言って料理を見ると途端に数時間の眠りについていた食欲が活動を始める。

「もう食ってもいい……のかな?」
「うん。いいよー」

満足そうに言うに軽く礼を言うと食卓に着き、まず手始めにとサラダに手を伸ばす。

「どう?」

少し不安そうに聞いてきたを一瞬見て、次の瞬間アイオロスの顔は満面の笑みに変わった。

「すごいじゃないか、! ちゃんとサラダの味がするよ!」

普段なら殴り殺されかねないことを言いながらも、アイオロスの顔は笑顔に溢れていて、それを見たもさすがに怒る気になれず、自分が作った料理を口に運んだ。

「うん。上出来!」

自分の料理のできばえに満足そうな笑みを浮かべたを見て、アイオロスも相槌を打つ。普段のアレは一体何だったのか。驚くほどまともな味の料理を平らげる彼の心の中には一種の感動さえ浮かんでくる。こんな料理なら毎日食べてもいいのに。そう自然と思ってしまうほど。

それが十数分の後、取り消したくなる衝動に駆られるなど、その時のアイオロスには考えることもできなかった。



「で、今からこれを食べろと……?」

目の前に置かれた馬鹿でかいケーキを見てアイオロスはそう聞き返した。

「いいじゃない。ほんのデザートよ」
「デザートって言ったってまだ朝だぞ……?」

『朝からケーキなんて』という言葉を隠してアイオロスはもう一度目の前のケーキを見た。どう見てもこれはケーキだ、と再確認する。イチゴの乗ったショートケーキ。真ん中にはチョコレートだろうか、『Happy Birthday to AIOLOS』とかなり歪んだ字で書いてある。
努力の跡は垣間見える、そんなケーキだった。

「も、もう少し後でもいいんじゃないのか?」

恐る恐る言ったアイオロスの前に立ちはだかったは、普段よりも威圧感が増したような気がする。するとどうだろうか。の顔が少しだけ寂しそうに微笑んだのだ。
さすがのアイオロスもそんな顔をされては断るわけにはいかない。

「わかった。今はおなかがいっぱいだから、ほんの少しだけもらっていいかな?」
「オッケー! すぐ切るね!」

(え……演技だったか!)

いると言った途端、普段の顔に戻ったにアイオロスはがっくりとうな垂れた。

目の前に出されたケーキに、アイオロスはまた安心のため息をつく。形こそ少し崩れているとはいえ、どう見ても普通のケーキ。きっとこの分なら味もきちんとしているのだろう。そう思ってケーキを一かけ、口に運んだ。

「―――――!!」

アイオロスは慌てて口を押さえ、コーヒーを飲み干した。異様なまでに口の中に広がる甘さ。しかも並大抵の甘さではない。口の中が麻痺しそうなほど甘い。
しかし、同じようにケーキを食べているは平然とした様子でフォークを口に運ぶ。
まさか、自分の味覚が少しおかしくなっているのではないか。そんな不安を抱きながらもアイオロスが二口目を運ぼうとした時だった。

「兄さんおはよう! っても一緒か」

そう明るい声を響かせて入ってきたのは彼の弟アイオリアだった。

(なんてグッドタイミングだ、アイオリア!)

助けに舟、とばかりにアイオロスはアイオリアを手招きする。

「やあ。の作ったケーキがあるんだが食べていくか?」
「え? ケーキ?」
「そうだよー。私が昨日真夜中までかかって作ったの!」

嬉しそうに包丁を持ち出したに一瞬、アイオリアの表情が凍る。

が、焼いたのか……?」
「うん、そうだけど?」
「安心しろ、アイオリア。今日のはまだ食べられる範囲だ」
「そうか……って兄さん、言葉には気をつけた方が……」

すっと包丁を持ち上げたを見て、アイオリアは慌てて兄に注意する。だが、当の本人はそれに気付いてないのか、自分の横の椅子を指差してはしきりに手招きをする。

「じゃあ、いただきます」

様子を伺いながら椅子に座ったアイオリアの目の前にケーキの乗った皿が出された。彼も兄と同様、少し崩れながらも普通の形状をしたケーキに安堵の息をもらす。

「結構おいしそうじゃないか」
「そうでしょ。それで五個目なんだ」
「五個って他にも作ったのか?」
「うん。全部失敗したけどね!」

やはりな、と心の中で思ったのか、兄弟は目を合わせてどちらともなく頷く。そんな犠牲の末ようやく出来上がったケーキをアイオリアは恐る恐る口に運んだ。
そして――小さくうめいた。

(に、兄さん。このケーキその、少し……いや、かなり甘くないか?)
(おお、アイオリア! お前もそう思うか!? 実は俺も……)

小宇宙で互いにテレパシーを送る二人の目の前、はわくわくしてアイオリアからの感想を待っている。

「どう? 味、変じゃない?」
「いや、そのとてもおいしいんだが。少し俺には甘い、かな……?」

思わず率直に感想を述べてしまったアイオリアの横、アイオロスは恐怖に引きつった表情を浮かべた。

(馬鹿者! 一言余計だぞ!)
(ご、ごめん! でも思わず……)

必死に弟の無事を祈るアイオロスと、最早逃げ道をなくしてしまったアイオリアはをちらりと見やった。しかし、二人の予想に反しての表情は平然としたままで。

「そうかあ。ちょっと甘かったかな?」

(ち、ちょっと!?)

驚きの表情の二人を差し置いて、は一人何度かケーキを口に運ぶ。

「その、どれぐらい砂糖を入れたんだ?」
「えっとねー。まあ適当に」

(適当? ケーキを作るのに適当!?)

今度は信じがたいといった表情になった二人を見ては不思議そうに首をかしげる。

「何か、おかしかった?」
「い、いや……」

おかしい、と言いたいのを抑えてアイオロスはゆっくりと笑顔を作った。
そうだ。は自分のために苦手な料理をしてくれたのだ。しかもケーキまで。その努力をここで無駄にしてはいけない。
聖域の英雄は、そう決意を固めるとマグカップを差し出した。

。コーヒーを入れてくれ。ブラックで!」
「はいはーい」

の背中が見えなくなったとたん、アイオロスは隣りにいる弟の肩を叩いた。

「いいか、アイオリア。普通の顔をして食べるんだ!」
「でも兄さん。このケーキはさすがに……」
「いいんだ。コーヒーで甘さを中和しつつ一口ずつ丁寧に食べれば大丈夫だ!」
「な……! それはすごい! さすがは兄さんだ!」

変なところで兄弟愛を深めると、二人は運ばれてくるコーヒーを待った。やがて、かちゃかちゃと音がして、二人分のマグカップが運ばれてくる。

(よし、いざ!)

アイオロスは心の中で敵に向かうような掛け声をあげると、ケーキに食らいついた。それを見ていたアイオリアも兄に習ってケーキを口に運ぶ。一口、二口。ケーキを口に運んではコーヒーを飲むと、皿の上にあったケーキもみるみるうちになくなっていった。
それを見たも満足そうに微笑み、ケーキを口の中に運んでいった。……二皿目のケーキを。



その晩、催されたアイオロスの誕生パーティーにはコックの素晴らしい料理とケーキが出され、それをアイオロスはとても喜んで口にしたが、ふいに隣りにいたサガに耳打ちをした。

「どんなうまい料理も好きな女の手料理には敵わないな」
「何? の料理はそんなにうまかったのか?」

怪訝な顔で聞き返したサガにアイオロスは数度か首を横に振ったが、その後こう続けた。

「こっちの気持ちの問題さ」と。



Happy Birthday to our HERO!


<THE END>