「どうじゃ? うまいか?」
「うん! 童虎が淹れるお茶はやっぱ格別だね〜」
「ほっほ。そう言ってもらえると、こっちも嬉しくなってしまうわい」
それはいつものこと。童虎がお茶を淹れてが和菓子を持ってきて。二人で、のんびりひなたぼっこでもしながらどうでもいい話をする。
天秤宮での、いつもの平凡な日常。
「あ、口の横にあんこついてるよ」
「ん? どこじゃ?」
「ほら、ここ」
反対側をぬぐった童虎を見て笑いながら、
は口の端についたあんこを指で拭う。
「どうせならちゅ〜で取ってもらいたかったのぅ」
「またまた〜。春麗ちゃんにもそんなんばっか言ってるんでしょ〜?」
毎日こんな会話の繰り返し。もう、ずっと何ヶ月もこんな日々の繰り返し。
本当は。
童虎はのことが好きで。
も童虎のことが好きで。
でも今がお互いにとってあまりにも幸せだから、言い出せない。
この関係が壊れてしまうのが怖くて、言い出せない。
好きな人と平和な時を歩むだけで満足してしまった老聖闘士と。
好きな人と平和な時を過ごすのが当たり前だと思っている若い女の。
本当に幸せな。
そしてちょっと臆病な恋。
「う〜ん。なんだか眠たくなっちゃった〜」
「なんじゃ、もう帰るのか?」
「ど〜しよっかなあ〜」
ちょっと悩んでが出した答えは。
「めんどくさいから、童虎のベッドちょっと貸して」
そんな無防備なものだった。
が寝ついてから1時間。
「無防備なもんじゃのぅ」
すぅすぅ寝息を立てて眠るを見て童虎がぽつりと呟いた。
他の男の前でもこんな風にベッドを借りるものかと、そんな考えが頭をよぎり、ぶんぶんと頭を振る。
自分は信用されているのだと。なんの身構えもなしに接することができる『友達』として。
『好いているのならば、さっさと奪ってしまえばよいものを』
長年の友人の言葉が浮かび上がる。
「わしはおぬしのようなケダモノとは違うんじゃ」
唇を尖らせて、そう言った瞬間。
ごすん。
頭に衝撃を受け、童虎は一瞬ふとんの上に突っ伏した。
「な……?」
ふと殴られた方向を見るとの腕。
「……寝相の悪いやつじゃ」
そう笑って乱れたふとんを直してやる。それが当然、とでも言わんばかりにお姫様は夢の中。
「平和そうな顔で寝おって」
どんな夢を見ているのか、は軽く微笑んで。
「ど……うこ…………」
「なんじゃ?」
起きたと思って思わず返事をする。それでもは眠ったまま。
「どんな夢を見てるのやら……」
夢の中の自分は、どんな顔で、どんな声で、どんな態度で接しているのか。
願わくば、それが自分の望む姿であればいいけれど。
「う……」
小さな声をあげてが寝返りをうつ。
幼さと大人っぽさが共に在るかのような顔立ち。寝息をたてる唇はまるで紅梅のように鮮やかで柔らかな色で、吸い込まれるように、童虎はそれに自分の唇を重ね合わせた。
……べちっ。
鈍い音と共に童虎の頭を何かが挟む。一瞬、自分の身に起こったことがわからなかった童虎だった、が。
「……どうこ?」
「な、なんじゃ……?」
じっと自分を見つめるの視線に気付き、慌てて顔を離そうとする。それでも、恐ろしいほどの力に引き寄せられて。
「……ッ!」
唇まであと三センチ、というところでピタッと止まる。もがいた童虎の動きが止まり、代わりに頬が赤く染まっていく。
どれほどそうしていただろうか。急にの手が離され、ようやく開放された。
「……?」
恐る恐るその名を呼んでは見るものの、目の前には先ほどと同じように、目を閉じているの顔。
思わず無言でのまぶたを持ち上げた童虎は、完全にが眠っていることを確認し、ほっとため息をつく。
「なんじゃ。寝ぼけておったのか」
そう呟いて、安心と同時になぜか期待を裏切られたような気持ちになって。
「何を期待しておるんじゃ、わしは……」
熱を持った頬を冷ますかのように、寝室の窓をほんの少しだけ開ける。さらさらと音をたてるかのように、春を告げる優しい光と若々しい香りの風がへと降り注いで。
その光景に目を細めると童虎は静かに扉を閉めた。
「んあ〜! よく寝たッ!」
「まったく何時間寝てるんじゃ」
「何時間ってほんの二時間でしょ?」
そう言ってはもう一度大きく伸びをすると、十二宮の階段へと続く廊下を家へと歩き出す。
「ん? 童虎」
「なんじゃ?」
「また口の横にあんこついてるよ」
ほれほれと指を刺すに従って、童虎はぐいと口をぬぐう。
「違ってば。その反対」
「ここか?」
「もうちょっと横」
「ええい、ここか!?」
「もう違うってば〜!」
そう笑っては背伸びをすると。
ちゅっ。
童虎の頬に柔らかな唇が当たって。
「……?」
「乙女の寝込みを襲った仕返しよ」
その言葉に童虎は一瞬呆然とする。逆に顔を覗き込んでいたはにっこりと笑って。
「ごちそーさま」
それだけ言うと、軽やかな足取りで階段を上げっていく。しばらく呆然とその姿を見送っていた童虎は、はっと我に返って。
「な、―――――!!」
顔を真っ赤にして叫んでも後姿が振り返ることはなく、代わりに、熱を持った頬を春の風が優しくなでていった。
<THE END>