シオンの発案から三十分後。聖闘士候補生が使うコロッセオに佇む四つの影があった。
「……あの、何であなたまでいるんですか?」
「何だ。私がいてはいかんのか?」
四つ目の影、それはすなわち双子座のサガ。シオンを発見したアイオロスが素早く連絡し、駆けつけたのだった。
三人の黄金聖闘士が訓練着で終結したこのコロッセオには、すでに幾人かのギャラリーが集まり、今に何が始まるのかと興味津々で見ている。
「で、ダイエットをしたいだと?」
「いや、進んで望んだわけじゃないんだけど……」
「体重が増えたと嘆いておったのはお前だろうが」
「それはそうだけど……」
確かにダイエットをするにはちょうど良い機会かもしれない。しかし、とはもう一度集まった面子を見渡してみる。
前聖戦の生き残りであり、現教皇である牡羊座のシオン。
黄金聖闘士最年長、他の聖闘士の良き指導者でもあった双子座のサガ。
仁智勇を兼ね備え、英雄としても讃えられた射手座のアイオロス。
黄金聖闘士でも最高峰と言われる三人が、どうしてこうも一人の女のダイエット如きに時間を割くのだろう。
もちろん、シオンが職務を放り出したということもある。そして後の2人がそれを監視するためもあって付き合っているということも。
(だからってこんなに目立つことしなくてもいいじゃない……)
興味溢れる視線を投げかけてくるギャラリーに目を配り、は小さくため息をついた。
「それにしてもたるみきっているな」
「普段あれだけ元気なのに、体力はないんだな」
「日がな一日寝そべって怠惰な生活を送っているからだ」
試しの体力測定だけで根を上げてしまったに、頭の上からこれでもかと言うほど呆れた声が投げかけられる。
「だって、普段運動なんてしないし」
「それはただの言い訳と言うのだ」
サガのきつい一言にはぐうの音も出ず、その場にへたり込む。
「この調子だと、そのうち肥満になってしまうぞ」
アイオロスの心配そうな声と共にたくましい腕が差し伸べられる。
「何はともあれ、少しでも筋肉をつけるべきだな」
ようやく立ち上がったの腕を引き、ため息と共にシオンがぼやく。そうシオンが思わずぼやかずにはいられないほど、の腕は柔らかくて。
「とにかく、一度決めたからには最後までやってもらう」
問答無用のサガの一言には大きくため息をついたのだった。
「そら、あと十回だ!」
青空の下、アイオロスの声が響く。
すでにダイエットを始めてから三週間。毎日続けられるトレーニングは着実にの体を鍛え上げていた。
シオンの姿は見えない。もちろん、公務ということで教皇宮に縛り付けられているのだ。
「ラスト一回!」
アイオロスの声と共に体を起こしたが、少しひんやりとした土の上に再び体を横たえる。
「お、終わった……」
起き上がれないほど体力を消耗し、地面に突っ伏したの頭上、二つの端正な顔が覗き込み、彼女の労をねぎらう。
「よくがんばったな」
「お前はやればできる人間だとわかっていたよ」
本当はそう思ってなかったくせに、という言葉を喉から押し戻して、は無言で体を起こすと、差し出された水を一気に飲み干した。
焼け付くような喉を水が冷やしていく。それにつれ、掠れ気味だったの声も元へと戻って。
「これで、本当に終わりなんだよね……」
長かった三週間を振り返ってほっと呟く。それに頷くサガとアイオロスの顔を見て安心したのか、はまた地面の上へと寝転ぶ。
「長かった……」
「でも今日で終わらせてはいかんぞ」
「そうだ。急に運動を止めては、また元に戻ってしまう」
二人の注意を受けては軽くうなづき返す。それでもいい。ほとんど運動していなかったにとってあまりにもハードだったダイエットは今日で終わりを告げるのだから。
「二人ともありがとう」
「どういたしまして」
三週間前とは違い、引き締まった腕を伸ばすとアイオロスのがっしりとした手が引き起こしてくれる。そのまま抱き起こされる体も以前より細く、しかししっかりとしたたるみのない体型で。
「すごいよ。やればできるんだね!」
確実に軽くなった体をそっと触り、は物事を成功させる満足感を感じていたのだった。
「それにしても案外うまくいったな」
「ああ。まさかあそこまでになるとは私も思わなかった」
シオンに一応の報告を、とサガとアイオロスは連れ立って教皇宮の廊下を進む。もちろん話題は先ほど長いダイエット期間を終えたのことで持ちきりである。
「それにしてもは筋肉がつきやすい体質のようだな」
この三週間を振り返ってそう言ったアイオロスにサガが同意を返す。
「私もそうだと思ったのだ。ところでアイオロス――」
突然真剣な顔でアイオロスを引き寄せたサガに、アイオロスは不思議そうな視線を返す。
「どうかしたのか?」
「いや、これはまだ計画の段階なのだが……」
サガは周りに人間がいないことを確かめると声を潜めて手短に何かを告げる。それを聞いた瞬間、アイオロスの顔が驚きと喜びが入り混じった顔になって。
「サガ! それは素晴らしい計画だ!俺も協力しよう!」
「お前ならそう言ってくれると思っていたぞ。ではさっそく教皇に報告を」
二人はさっと顔を見合わせると、止まっていた足をまた進めだす。それは十年以上前の気分を思い出してか、少し軽やかに繰り返される。
「また新しい訓練を指導できるなんて夢にも思わなかったぞ」
「そうだろう? 人が成長していく手助けをできるのは本当に素晴らしいことだ」
「まったくもってその通りだ。資質のある人間はそうそういるものでもないしな」
「まさか彼女がここまで的確だったとはな。我々の眼も少々劣っていたかもしれん」
ふっと自嘲をもらしたサガにアイオロスは向き合うといつもの笑顔でこう言った。
「そんなことはない! ならきっと立派な雑兵になれるさ!」
彼らのとんでもなく方向違いな計画を、はまだ知る由もない。
<THE END>